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2016年10月2日日曜日

後醍醐天皇忌と「正辰祭」

9月27日
後醍醐天皇ゆかりの如意輪寺で、戦時中の混乱で途絶えていたご命日法要「後醍醐天皇忌」が約70年ぶりに営まれ、光栄にも法要に参列させていただけるご縁をいただきました。
雨の日の多かった9月でしたが、この日は久しぶりの快晴でした。

午前⒑時、ご命日法要「後醍醐天皇忌」の前に後醍醐天皇陵「塔尾陵」での「正辰祭」がはじまります。御陵はこの石段の上の方。そしてご存知の方も多いと思いますが、後醍醐天皇の京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており「北面の御陵」として有名な御陵です。
宮内庁の方によるお浄めを受けて、順になって御陵にお参りさせていただきました。(柵の中の御前にて拝礼させていただけたことは大変有難いことでした。)
翌日の毎日新聞によると、京都から吉野へ逃れた天皇に従い、陵墓を守ってきた「地下じげ」の子孫の方々約40人の方も参列されていらっしゃったということです。
その後、ご本堂で営まれた法要では、加島公信住職が天皇の生涯などを記した宣言書「宣疏せんしょ」を読み上げて始まりました。
この法要が70年ぶりに復活された経緯については、9/24付け毎日新聞より抜粋させていただきます。
如意輪寺では明治以降、後醍醐天皇の命日(旧暦8月16日、新暦9月27日)に盛大な法要が営まれてきた。しかし、加島住職の祖父で先々代住職の諦忍(たいにん)さんが戦時中に病気で亡くなり、さらに父で先代の諦信(たいしん)さんも旧満州(中国東北部)に出征して中断。その後、寺では月命日の16日に内々で読経するなどし、冥福を祈ってきた。
復活のきっかけは昨秋、加島住職の次男、裕和副住職(27)が、寺の中で白地に寺紋「菊水紋」を金色であしらったそろいの袈裟(けさ)6着を見つけたこと。戦前まで命日法要で使われていた衣装だった。法要の趣旨を伝える当時の宣言書「宣疏(せんしょ)」も残っており、加島住職が「お寺は天皇と共に盛衰を重ねてきた。世に出すべき時だ」と決意したという。
左右対称に並べた三方に供物を高く盛るなど法要の形式は、戦前の様子を唯一知る加島住職の母、英子さん(90)の記憶もたどって再現した。本堂奥にしまっていた黒塗りの三方も修復し、丁寧に磨き上げたという。
当日は、後醍醐天皇に従って京都から吉野に来た人々「地下(じげ)」の子孫らも参列する予定。加島住職は「かつての規模を取り戻したい。まずは第一歩を」と話している。

厳かに営まれた法要の最後は御陵の方角に向かって全員で「無言の一礼」。70年ぶりに復活された法要の第1回目に立ち会わせていただけたこと、本当にありがとうございました。
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如意輪寺さんでは、10/29~11/20の期間 9:00~16:00
後醍醐天皇のご生誕の日(11/2)をお祝いし、近隣住民の方々が心を込めて育てた菊花で境内を彩る「第三回 如意輪寺 菊まつり」が開催されます。
期間中は、様々な催しが予定されています。
●後醍醐天皇ご生誕法要(11/1 13時~/法要中のみ、秘仏ご本尊・如意輪観世音菩薩像拝観可能)
●後醍醐天皇御霊殿特別開扉(要拝観料400円)
●「後醍醐天皇お祈りの図」体験と、菊まつり期間中の土日祝日と11/1 には如意輪寺監修「貢蛙こうあ御膳」(4800円税込)を「吉野温泉元湯」にてお食事→こちらの予約申込みは「吉野ビジターズビューロー」へ。(詳細はこちら
●吉野町地域おこし協力隊写真展「私たちの住むまち吉野~ようこそ、普段着の吉野へ~」開催
などなど。
秋深まりゆく吉野へ、如意輪寺へどうぞお出かけくださいませ。