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2015年8月30日日曜日

フランス旅のアルバム:その⑥ロワール川古城巡り

8/24から9/4まで12日間に及ぶフランス旅行の記録もこれで最終です。
大学の卒業旅行から数えて5度目の渡仏で、初めてパリに立ち寄ることなく、田舎を中心に旅することができたのは、フランス在住のN氏のアテンドがあってこそでした。
そもそもNさんとは30年前の渡仏の折に丸一日アテンドしていただいたことがきっかけで、家族ぐるみのお付き合いが始まったのでした。
1986年4月、奈良倶楽部を始める前の私達一家は、家族赴任をしていた中東産油国での海外勤務を終えて帰国の途につく道中に、トルコ・ハンガリー・フランス・オランダと旅しながら日本に帰ってきたのでしたが
Nさんにはパリ滞在中の一日を、日帰りでロワール川沿いの古城巡りに連れて行っていただいたことがあったのです。
今回の旅でも、ブルゴーニュからボルドーへの移動途中にロワール川沿いの古城をご案内していただけるということで、懐かしい写真をアルバムから探してスマホに保存して出発しました。
・・・ということで、こんな記念写真をつくってみました^^
シャンボール城。(上の写真2枚も)
まだ20代の私達。子供は3歳4ヶ月と1歳10ヶ月。
常夏の中東からの帰国、赤ちゃんで連れて行った息子の冬服がなく、日本人社会に声かけて、お古のコートをいただいて着せてます。
シュノンソー城
シュノンソー城へ続く並木道で、Nさんと。
シュノンソー城の廻廊。
写真で見ても、シャンデリアが新しく付けられたり、内部の殆どに修復が施され綺麗になって、観光名所として開放されています。素晴らしいお城でした。
シュノンソー城
河の上に橋を架け、その上に廻廊を作ってある。
アンボワーズ城
こちらも外壁がとても綺麗になっている。
ダビンチのお墓があるお城です。
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こんな旅のアルバムが作れるのも、その場所が何十年経っても変わらない歴史の重みがある場所だから・・・。
写真を見ながら、人生の中の30年を振り返ったりかみしめたり。
多分大変なことも多かったとは思うのですが、思い出すのは楽しかったことばかりで、あらためて全ての出会いや出来事や諸々に感謝しなければと思うのでした。
そして最後になりましたが、楽しい旅をアテンドしていただいたNさんにも感謝です。ありがとうございました。

2015年8月29日土曜日

フランス旅のアルバム〜その⑤美しい村と先史時代の洞窟

 「フランス観光」といえば、美術館巡りだったり、ワインやグルメ、カフェ、ファッションなど華やかイメージを思い浮かべますが、今回の旅では、小さな村の何気ない景色が忘れられない思い出になっています。
フランスには、昔ながらの田舎の景観を保護することを目的に設立された「フランスで最も美しい村協会」なるものがあって、人口2000人未満であること・村の美化に努めていること等、さまざまな条件を満たしている村だけが「美しい村」を名乗ることができ、現在157の村が登録されているのだそうです。
ブルゴーニュ地方の小さな村ヴェズレィも「美しい村」の一つ。
中世ロマネスク様式のサント・マドレーヌ・バジリカ聖堂には
マグダラのマリアの遺骨が祀られているという(本物の遺骨は南仏にあるという説が有力だそう)
かつて、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに通じる巡礼の道の出発点だったヴェズレィ。
巡礼路の道筋を示すのはホタテ貝のマーク。
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「美しい村」に登録はされていませんが、N氏がお住まいのサン・ファルジョーも、落ち着いた美しい景観を持った街でした。
この街も、中世の歴史遺産がいたるところに残っています。
サン・ファルジョー城では毎年夏の週末にフェスティバルが開催され、その時は街も大変賑わうそうです。街の紹介やお城の歴史の詳細はN氏がかつて営んでいらしたB&BのHPにやブログに残っていますので興味のある方はどうぞ。
週末ではなかったので、朝や夕方の散歩では、あまり人と出会わず。
こちらの街にも木骨組の家がありましたよ。
かつての洗濯場も残っています。
観光的には特に何があるという訳でもないのですが、歩いているだけで、静かな街の佇まいに心癒されるような気分です。
その後、日本に帰ってから気がついたのですが・・・。
電柱の乱立・空を覆う電線の多さや、街に溢れる看板の統一感のない配色や、自動販売機やコンビニ、ファーストフード店の多さなど・・・日本で当たり前になってしまっている景観が、フランスには一つもないのだということに気がつきました。
上の写真は、ある一軒の家の外壁、窓、扉などの配色がとても気に入って記念撮影したもの。(偶然にも同じ配色のものを着ていましたが)
こんな風に、色彩ひとつ取っても街の景観についての心遣いが感じられ、それが旅のものにもやすらぎを与えてくれているのではと思うのでした。
フランス滞在中(大都市ボルドーでも)一軒のコンビニも見なかったのですが、街の人が毎朝買いにくるパン屋さんはよく見かけました。
朝7時頃、朝食用のバケットを買いにくるのは男性たちでした。

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余談ですが、サン・ファルジョーからヴェズレィ村への途中の(いや、ひょっとしたら大回りしてもらったのかもしれませんが)近隣に、「Grotte d’Arcy sur Cureアルシー・シュル・キュール」という洞窟があり、3万年前の壁画が残っているというので、見学しました。

洞窟の中は撮影禁止でしたので、パンフの写真を載せておきます。
ガイドツアーに参加して洞窟の奥深くまで入っていきました。
ガイドさんの説明を訳してもらうと・・・ この洞窟には20万年前頃から原始人達が住んでいたようで、ネアンデルタール人の化石や骨細工も見つかっている。洞窟が発見されてから数十年後に洞窟の壁を洗浄したところ、石灰質の壁の後ろから赤いものが見え、調べてみるとマンモスの絵が出てきたということらしいです。
びっくりしたのは、日本でも有名な「ラスコーの洞窟画」よりも古い時代のもので(発見された壁画の中では世界で二番目に古いそうです)、レプリカではなく本物を見ることができるということ。
ブルゴーニュ地方の美しい村々を訪ねている途中に、中世の面影が色濃く残る街から先史時代の遺跡へとタイムスリップして、フランスの歴史の圧倒的な長さ深さを知るという貴重な体験をすることができました。
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「フランス旅のアルバム」も次回がいよいよ最終話になります。
更新はまだ未定ですが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。

2015年8月28日金曜日

フランス旅のアルバム*その④ユニークな建築物

フランスでは、ロマネスクやゴシック様式の教会、中世の王侯貴族の城館など、世界遺産にも登録されている歴史的建造物巡りも楽しんだのですが、その中でユニークな建物を見つけました。
こちら!
一瞬、我が目を疑ったのですが・・・何と、崖の中を家にしています。
近寄って見てみました。
この一軒だけでなく、その他にも崖沿い何軒か続いています。
廃墟になっている家屋もありますが、現役の家もあり
プライベートスペースだから立ち入り禁止の看板も。
日本では考えられない、崖を利用した家。
この崖利用の家屋が連なっていたのは、ロワール川沿いの古城アンボワーズから、晩年のレオナルド・ダ・ビンチが住んだ館(ル・クロ・リュセ)までの道中でしたが、その後、ボルドーへ向うTGVの車窓からも同じような崖の家を見つけています。
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すでに何度か写真をアップしていますが、木骨組の家。
頑丈な石造りの建物が多い中で、木造の家もまた残っているのですね。
ブルゴーニュ地方ヨンヌ県県庁所在地のオーセールに残る家並み。
 木骨の間に赤煉瓦を挟んで、それが幾何学的な模様になったものも↓。

ロワール川沿いの都市トゥールでも
煉瓦を挟んだ木骨組の家が多く残っていました。
石造りと木骨組を合わせた建物も。
これらはみんな現役だからすごいですね!
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こんな家もありました。
これはスレート瓦を使った家。
フランスではこのスレート瓦が屋根瓦に多く使われています。↓
薄く切った天然石を、昔はノート代わりにここに字を書いたりすることもあったそうです。お土産にいただいたので・・・
私は、お皿や花瓶敷きなどに使ってみようかと。

ちょっとこぼれ話的な話題になってしまいましたが、次回からは観光旅行の王道の話題に入っていきたいと思います。(続く)

2015年8月27日木曜日

フランス旅のアルバム*その③ワイン街道をゆく

今回の旅の行程〜ブルゴーニュ地方・ロワール川沿い・ボルドー〜は、奇しくもフランスワインの名産地として名高いところばかり。
まるで「ワイン巡りの旅」のような印象ですが、最後のボルドーでシャトー巡りに参加するまでは、どちらかというとワイン畑を横目で見ながら走った・・・というような旅でした。(いや勿論、毎晩の旅の食卓でワインを楽しまなかった日はありませんでしたが・・・)

そのワイン街道沿いで印象に残ったところなどを・・・。

この鮮やかで特徴的な屋根瓦の建物は、15世紀に建てられた病院「オテル・デュー」。ブルゴーニュ地方の葡萄畑が続く丘陵地帯にあるボーヌの街にあるオスピス施薬院で、当時の病室などが見学できるのです。
展示室となっているかつての病室の一つ「貧者の間」
ベッドの配置が縦列で珍しいです。美しい天井の梁の装飾は、きっと病床での慰めになったことでしょうね。
貧者の間の床のタイルは15世紀の設立当時のままのもの。
この施設には日本語の音声ガイドもあり、ストレスなく見学できます。
こちらはお金持ち対象の有料の老人の間。
何と1984年までここは使われていたそう!
これは、18世紀初めに治療を受けた兵士がお礼に藁で作って置いていった施薬院の模型です。素晴らしく精巧な作り!
 厨房の様子を再現した部屋。台所用具は当時のもの。
薬剤室に残る当時の薬瓶の数々。
自然界に存在する植物や鉱物などが使われていたのです。
フランス大革命の際に隠して、損傷を免れた「最後の審判」 の装飾屏風↑や、創立当時のタペストリー↓など素晴らしいものがいっぱい。
この病院の運営費は、500年以上もの間、病院が所有する葡萄畑からできる上質のワインの競売で賄われていたそうで、今も特級のワインとして人気が高く、売り上げは建物の修復などに使われているのです。
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この日はボーヌ近くのワイン畑の中にある小さな町、ピュリニーモンラッシェに宿泊し、夜は街のレストランへ。お料理はコースで19ユーロとお安いのだけれど、さすが地元ワインは銘柄のいいのは600ユーロ(9万円くらい?)と旅の者には手が出ませんでした。でも、ここのCAVEの名前のついた手頃なワインと、ブルゴーニュ特産エスカルゴで乾杯の夜でした。
ピュリニーモンラッシェの葡萄畑。
きちんと直角に刈り込んだ畑↑もあれば、伸びっぱなしの畑↓もあり。
畑にも個性があって面白いですね。
葡萄の木というと、日本では葡萄棚を作って枝を延ばしていますが、こちらでは葡萄の木は1mくらいの高さでした。
今年は暑さが続いたので近年になく豊作でワインの出来がいいという、地元の人の話です。
余談ですが、ブルゴーニュのワイン街道をサイクリングする人がとても多くて、ここを走り抜けるのは気持ちいいだろうなぁと思いました。
サイクリストのためのマップが書かれた看板もお洒落です。
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さて、ワイン通でなくても、その名を知るロマネコンティ!
ピュリニーモンラッシェからディジョンに向かう道中に、ロマネコンティの本社があるというので寄ってみました。
(門の外から中を記念撮影しただけですが・・・)
この辺り一帯の地図があったので
地図を頼りに、ロマネコンティの葡萄畑を探してみました。
こちらでも記念撮影。
あちこちからひっきりなしに旅行者が訪れては記念撮影しています。
畑の面積がとても小さいのでちょっとびっくりしました。
生産量が少ないというのも希少価値があるのでしょうね。
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ブルゴーニュ地方のワイン畑を通りながら、この後、旅はロワール川沿いに走り、そして最後はボルドーへ。
ボルドーでは観光案内所主催シャトー巡りバスツアーに参加しました。
2軒目のシャトーに併設のシャンブルドット↓お洒落な雰囲気です。
それぞれのシャトーで葡萄畑や醸造の行程、瓶詰めの様子を見学して、最後にテイスティングを楽しむというツアーですが、ワイン初心者にとっては、実際に見て触れることによって、今後よりワインに興味を持つことができるという有意義なツアーでした。
※人気のツアーなので、ボルドー到着後に翌日の予約をしておくといいと思います。(34ユーロ、5時間コースで2軒のシャトーを見学。)