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2013年7月14日日曜日

和合亮一講演会*奈良女子大学公開講座

7/13、奈良女子大学記念館にて福島の詩人和合亮一氏の講演会。

東日本大震災直後からツイッターを通して、地震と津波と原発事故に見舞われた福島の現状を発信し続ける福島在住の詩人、和合亮一さん
ツイッターに投稿された「放射能が降っています。静かな夜です」という詩。その当時の私はツイッターをしていなかったので、和合さんがツイッターに投稿されていた詩をリアルタイムでは知らなかったのですが、後日に知ったこの詩は、自分の今までの価値観で計れない全く別の違う世界が日本に出現して、その中に否応なく放り込まれ閉じ込められた人がいるという現実を静かに突きつけて、衝撃的でした。

講演会でもお話されていましたが 、ツイッター投稿作をまとめた著作「詩の礫」を読んで、和合さんがどうしてツイッターに詩を投稿されるようになったかということも知りました。

ちょっと長くなりますが、講演会で話されたことをまとめてみます。

震災発生時は、大きな地震だったが明日明後日には復旧するのではと思っていた。それが福島第一原発の水素爆発に「これで福島は終わった」と思った。震災6日目の3/16に、妻と息子を山形に避難させて、 1人になって初めて孤独の本質を知った。たまたま、その日から電気がついたので、パソコンに向かってその時の思いを書いてみようと、最初は友達に宛てるつもりで書き始めた。

「震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。みなさんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。」で始まったツイート。
「本日で被災六日目になります。物の見方や考え方が変わりました。」
「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。」
「放射能が降っています。静かな静かな夜です」

・・・書き始めてから2時間半、被災してから6日間の思いを連打した。(「詩の礫」を読んで初めて知ったのですが、この時、和合さんはツイッター初心者で、連続投稿している2時間の間に、フォローして下さる方がどんどん増えていくことに驚き、その中でたくさんのメッセージをもらって勇気づけられ、詩を書きながら一方通行ではないのだと感じられています。)
「こういう方法をやってしまって、迷惑なんじゃないかと思ったのですが、みなさんに深く感謝をいたしたいと思います。」
そして最後に「明けない夜は無い。」と書いた。

その日から毎晩 2〜3時間パソコンに向かって詩を書き、最後は「明けない夜は無い」という一文で締めくくる。怒り、絶望、悲しみしかないのに、最後には無意識にこう書いていた。これは、絶望の中で光を探すための〝祈り〟だったのかもしれない。

ツイートをしている間も強い余震が何度もあって、余震の恐怖と向き合いながら書いているが、恐くても、言葉を書いている時間は心が強く積極的になれる。
言葉を書くということはアグレッシブな行為で、言葉が光を与えてくれ、いただいたメッセージひとつひとつに励まされ、自分を救ってくれた。

4月になって、ガソリンが手に入るようになってから、20代に過ごした南相馬市や浜通りへ、家の中から外へ出て、そこで見たものを書いたのが「詩の黙礼」 。
心と身体をその場において言葉を綴ることが自分の鎮魂であり般若心経である。

富岡町から避難されてきた60代後半の美容師をされていた女性から聞いた「言葉には橋がある。いい橋を架ければ、向こう側から歩いて来てくれる。橋を架けることを大事にしたい」という言葉を紹介されていました。

美容院を経営するその女性は、「美しい言葉」をお客さんにシャンプー中に伝えたりして、言葉をプレゼントしていた方で、避難所でも同じように人を慰めることができるかと思ってしたけれど、誰も自分の言葉に耳を貸さないし邪魔にされる。自分は生きている意味がないのだと生きる希望を失った時に、ボランティアの人から「どうしたの?」「心の中を全部吐き出してしゃべって」と声をかけられて、丸一日中話し続けて心の中が空っぽになった時に、初めてその空っぽの心の中に何かが生まれてきたそうで、それからは、避難所の中で人の話を聞いてあげるということをされているそうです。

その方から聞いた「言葉には橋がある」というメッセージ。

和合さんは「言葉は、美しく、品があって、優しく、研ぎ澄まされたものでなくてはならないと思う。癒し励まされる言葉でなくてはならない。私は福島から言葉の橋を架けたいと思っている。」とおっしゃってました。そして「言葉から始める。言葉を磨いていく。それを大事にしたい」とも。

最後に「決意」という詩を朗読されました。
福島に風は吹く
福島に星は瞬く
福島に木は芽吹く
福島に花は咲く
福島に生きる
福島を生きる
福島を愛する
福島をあきらめない
福島を信ずる
福島を歩く
福島の名を呼ぶ
福島を誇りに思う
福島を子どもたちに手渡す
福島を抱きしめる
福島と共に涙を流す
福島に泣く
福島が泣く
福島と泣く
福島で泣く
福島は私です
福島は故郷です
福島は人生です
福島はあなたです
福島は父と母です
福島は子どもたちです
福島は青空です
福島は雲です
福島を守る
福島を取り戻す
福島は手の中に
福島を生きる
福島に生きる
福島を生きる
福島で生きる
福島を生きる
福島で生きる
福島を生きる

その日、奈良倶楽部にご宿泊いただいた和合さんと
翌朝にお話しする機会がありました。
この詩の中の 「福島を生きる」という言葉は
原発避難して福島を離れて暮らす人たちへのメッセージだとおっしゃってました。

福島から遠く離れた奈良で、果たして講演会にたくさんの人が来てくれるのだろうか・・・という不安もあったそうですが、訪れてみると「奈良は遠くて近いところだった。日本のどこへお伺いしても、震災のことを、想ってくださる方々はたくさんいらっしゃると感じました」と。

・・・東北から来られた奈良倶楽部のお客様とお話すると、同じように感じてらっしゃる方が多いです。「奈良のお寺に募金箱が置いてあって東北のことを思って下さっていることがわかって嬉しかった」とお話される方も多く、反対に私たちは、当たり前のことを驚かれてびっくりしたり・・・。ただ、やっぱり距離の遠さも関係していると思いますが、中へ入って一歩踏み込んで、”部外者”の私たちがどういう風にしていいのかわからないという面も感じます。
そんなこともお話して、関西と福島を繋ぐお手伝いもできればとおっしゃってました。
ご出発までのわずかな時間でしたが、和合さんの温かで誠実なお人柄に触れて、ご縁をいただいたことに感謝です。ありがとうございました。